FScの歩み(1)
漫画家を目指すまで
1977年7月27日、シンガポールの中国系の家庭に4人家族の長女として生まれる。
子どものころから絵に関心を抱いていたが、両親の教育方針により、当時は自宅で漫画を読むことを許されなかった。仕方なく友人の家で「ドラえもん」などを見せてもらったり、ベッドの下に隠れてお絵描きをしていたという。一方、C.S. Lewis(「ナルニア国物語」)、Roald Dahlらの読み物には早くから親しんでいた。
そうして15歳(シンガポールの教育制度では中学4年生)を迎えたころ、初めて自分のお小遣いで買った漫画が「ドラゴンボール」と「Sandman」だった。これはたいへん興味深い組み合わせだ。「Sandman」を選んだ理由は“ほんの好奇心”だったとFScはいう。しかし、わずか15歳にして“夢”や“死”について高踏的に語る「Sandman」にひかれるとは。読書を通じてファンタジーの素養を培っていたとはいえ、早熟だといえると思う。
また、現在の彼女の作品からはRoman Dirge、Jhonen Vasquez、Edward Gorey、そしてTim Burtonといった人々からの影響がうかがえる。おそらく、「Sandman」を窓口としてゴスという死と戯れる精神に出会い、そこへハマっていったのだろう。
それと並行して、日本の漫画にも親しみ続けてきたようだ。2004年の来日時に尋ねたさいは、好きな作品として「Blame!」「HELLSING」「Peace Maker鐵」「アガルタ」「アキラ」「仙術超攻殻オリオン」「童夢」「無限の住人」を挙げていた。
中学卒業後、Temasek Polytechnicという実業学校へ進み、デザインを学ぶ。ここで日本のさまざまなデザインを知り、あらためてこの国へ興味を抱いたらしい。
さて、「ドラゴンボール」と「Sandman」に触れたあと、彼女はいよいよ本格的にコミックアーティストを志すようになる。デビュー作はPolytechnic在学中の17歳のころ、中国系紙「星期5周報」に掲載されたイラストだったらしい。Polytechnic卒業後、ひとまずマルチメディア制作会社Vasunasにデザイナーとして就職する。
アマチュア時代
1997年、漫画家を目指す同志だった友人ChunのすすめによりWEBサイトを開設する。
同年6月、シンガポールのアマチュア作家の作品を集めたアンソロジー、「漫画同盟」(亞太図書)に「未遇」という作品で参加する。漫画家、FScの誕生だ。

1998年6月、「漫画同盟98」(亞太図書)に「月」を寄稿。1999年、Chunおよびもうひとりの友人D.kartoonと「iii」という同人CD-ROMを制作。2000年12月、「iii」から発展したアンソロジーが台湾において「三個女生」(時報出版)と題して刊行され、「第三眼」という作品を発表する。
1999年と2000年にChun、D.kartoonとともに米国のアニメ大会「Anime Expo」へディーラー参加するが、彼女の絵は個性が災いしたのか、あまり売れなかったという。2000年、彼女のWEBサイトを見た米国「Official Dreamcast Magazine」編集部から仕事の依頼があり、同誌#10(2000年11月)にイラストが掲載される。

ちにみに、当時の彼女の行動は中国系紙「聯合早報」の若者文化に関する連載記事でたびたび紹介され、地元の漫画ファンの注目を集めていたようだ。
- 97年
- Webサイト「FScWaseland」開設。
- 97年6月
- アンソロジー「漫画同盟」(シンガポール・亞太図書)に短編「未遇」掲載。
- 98年6月
- アンソロジー「漫画同盟98」(シンガポール・亞太図書)に短編「月」掲載。
- 99年
- 同人CR-ROM「iii」を制作。短編「第三眼」の一部を発表。
- 99年2月
- 新聞「聯合早報」(シンガポール)にインタビュー掲載。
- 99年7月
- 渡米。Anime Expoに参加。
- 00年
- 台湾に1ヶ月ほど滞在。台湾スターバックス向けの印刷物を手がける。
- 00年7月
- 渡米。Anime Expoに参加。
- 00年11月
- 雑誌「Official Dreamcast Magazine」#10(米国)にイラスト掲載。
- 00年12月
- アンソロジー「三個女生」(台湾・時報出版)に短編「第三眼」掲載。